広島地方裁判所 昭和58年(ワ)1309号 判決 1990年10月09日
原告 角田光永
同 渕上亜昭
右両名訴訟代理人弁護士 広兼文夫
同 福永綽夫
同 大国和枝
同 恵木尚
同 関元隆
同 沖本文明
同 小笠豊
被告 学校法人川崎学園
右代表者理事 川崎明徳
右訴訟代理人弁護士 森脇正
主文
一 被告は、原告角田光永に対し金二七六四万〇二六二円、原告渕上亜昭に対し金六六四万六七五四円及びこれらに対する昭和五八年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が、原告角田に対しては金九〇〇万円の、原告淵上に対しては金二〇〇万円の各担保を供するときは、当該原告の仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告角田光永(以下「原告角田」という。)に対し金五四二二万円、原告渕上亜昭(以下「原告渕上」という。)に対し金一一九〇万円及びこれらに対する昭和五八年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告角田は、本件医療事故で死亡した角田龍子(以下「龍子」という。)の夫であり、原告渕上は、龍子の弟である。
(二) 被告は、学校法人として、教育事業を行うほか、川崎医科大学附属病院(以下「被告病院」という。)を経営し、医療業務を行うものである。
2 経過
(一) 龍子は、昭和五四年春ころから気管支喘息のため、広島市内の病院・医院で治療を続けていたが、昭和五七年六月に初めて被告の経営する川崎医科大学附属病院の呼吸器内科を受診し、昭和五八年五月一〇日、基礎疾患の検索とコントロール目的で約一か月の予定で入院した。龍子の治療は、当時被告病院呼吸器内科に大学院生として入局していた中浜力医師(以下「中浜医師」という。)が主治医として担当することとなった。
なお、龍子は、昭和五七年九月二七日、咽喉炎の治療のため広島県立病院(以下「県立病院」という。)で交付を受けたボルタレン(鎮痛解熱剤)及びバカシル(ペニシリン系抗生物質)を自宅において服用した後、激しいアナフィラキシー様症状を起こし、県立病院に緊急入院したことがあった。
(二) 龍子は、被告病院に入院中、鼻茸(慢性副鼻腔炎に付随する炎症性新生物である)が出来ていることを指摘され、耳鼻科担当医師及び副島林造呼吸器内科部長(以下「副島教授」という。)の勧めで、昭和五八年六月二日、同病院耳鼻科において、同科の山本英一医師(以下「山本医師」という。)の執刀による鼻茸の切除手術を受けた。切除術は一五時一二分から二四分までかかり、龍子は一五時五〇分には病室に戻った。
(三) カルテの記載によれば、以後の経過は以下のとおりである。
(1) 一七時〇〇分、鼻部疼痛があったため、当時被告病院呼吸器内科講師で病棟主任であった加藤収医師(以下「加藤医師」という。)により、ボルタレン二錠が投与された。当日は副島教授も中浜医師も留守だったため、加藤医師が代わりに龍子を診察していたものである。
(2) 一七時三〇分、呼吸困難が出現したため、ネオフィリン二五〇ミリグラムなどが点滴注射された。呼吸困難のためベッドの上で体を起こして座位になった。喘息患者は座位になると呼吸困難が軽減することが多いためである。
(3) 一七時三五分、呼吸困難が増強したため、ネオフィリン二分の一アンプルとサクシゾン三〇〇ミリグラムが側注、すなわち、点滴中に、点滴の瓶から注射針までつながる管に直接別の注射針を刺し、注射液を注入する方法により注入された。
(4) 一七時四〇分、ベッドの上で座位になっていたところ突然チアノーゼが出現し、歯をくいしばって仰向けに倒れた。
(5) 一七時四三分、ミオブロック(筋弛緩剤)四ミリグラムが側注され、加藤医師が気管内挿管を試みたが二回失敗した後、山本医師の応援を得てやっと一七時四七分に挿入が完了した。
(6) 一七時四九分と五三分に心停止があった。
(7) その後、意識が回復しないままに、六月一二日午前七時〇三分に死亡した。
(四) 龍子の死因
龍子は、ボルタレンによって誘発されたアナフィラキシー様ショックにより、窒息、心停止状態になり、それにより低酸素脳症を来たし、その後、脳死状態になって一〇日後に死亡したものである。
3 責任
(一) 龍子がアスピリン喘息(薬剤誘発性喘息)に罹患していたこと
龍子は、被告病院に入院していた当時、アスピリン喘息、すなわち、アスピリンその他の非ステロイド性解熱鎮痛消炎剤により、喘息発作、アナフィラキシー様ショックなどの過敏反応を生じる喘息に罹患していた。
被告は、龍子がアスピリン喘息であったかどうか確定診断はない旨の主張をしているが、被告病院でも、龍子がボルタレンの投与によりアナフィラキシー様ショックを起こして後、それが薬によることが考えられるので消炎鎮痛解熱剤の使用は禁止する旨判断しており、また本件訴訟上もボルタレンによるアナフィラキシー様ショックであることは被告自身も認めていることであるから、龍子がアスピリン喘息であったことに疑いはないものというべきである。
(二) 過失(履行不完全)の内容
(1) 問診義務違反の存在
副島教授は、龍子が非アトピー性であり、三〇歳をすぎての発症であり、鼻茸を合併し、発作は通年性で慢性で、アスピリン喘息の臨床的特徴を備えていたことなどから、昭和五八年五月二五日の回診の際、薬の既往症を再チェックし、アスピリン喘息の検討が必要と指示している。
したがって主治医の中浜医師は、龍子に対して、薬による喘息発作の既往歴を詳しく聞き直し、龍子が五七年九月二七日にボルタレン、バカシル服用後、激しいアナフィラキシー症状を起こして県立病院へ緊急入院したことを聞き出すべきであった。
ところが龍子から、そのような答えを引き出していないのは、中浜医師がそのような問診を改めてやっていないか、極めて不十分な問い方しかしていないものと考えられ、中浜医師が、龍子から五七年九月二七日の発作(アナフィラキシー様症状)の既往症を聞き出すだけの詳細で具体的な問診をしなかったことは重大な過失(履行不完全)である。
中浜医師がどの程度具体的な問診をしたかは、龍子が死亡した現時点では不明であり、中浜医師の証言だけで、告知しなかった患者が悪いといった解決をすることが不公平で不都合であることは明らかである。したがって、龍子から薬剤誘発の既往歴を引き出せなかった中浜医師に、医師として十分具体的な問診をしなかった過失があるという推定がなされるべきである。
(2) スルピリン吸入誘発試験実施義務違反の存在
アスピリン喘息の診断の第一歩はまずその可能性を疑い、ついで問診により解熱鎮痛剤による発作誘発歴をチェックし、誘発歴が確定的でない場合、及び臨床症状がアスピリン喘息の特徴を呈しながら誘発歴がない場合には負荷試験を行うことが必要になる。
本件では、龍子は、被告病院に、昭和五八年五月一〇日、気管支喘息の検査のため入院し、以後二〇日余り、種々の検査をし、非アトピー性であり、三〇歳を過ぎての発症であり、鼻茸を合併し、発作は通年性で慢性で、アスピリン喘息の臨床的特徴を備えていたことなどから、副島教授もアスピリン喘息の検討の必要に気付いていたわけであるから、仮に問診により発作誘発歴が明らかにならなくても、次にスリピリンやアスピリンの吸入誘発試験により、確実にアスピリン喘息の診断を付けなければならなかった。
被告は、アスピリン喘息の疑いは問診すれば十分であり、問診で具体的に疑いがある場合に初めて吸入誘発試験を実施すればよいと主張するのであるが、問診により発作誘発歴が確実になればそれ以上吸入誘発試験を実施する必要はなく、問診により発作誘発歴ははっきりしなかったが、臨床症状からアスピリン喘息が疑われる場合には、吸入誘発試験によりアスピリン喘息か否か、診断を確定的にする必要があるのである。この試験は臨床症状からアスピリン喘息が疑われる患者に実施すればよいのであり、被告が主張するように気管支喘息の患者全てに実施する必要はない。
問診によりアスピリン喘息の診断がつけられるのはせいぜい半数であり、あとの半数はなんらかの負荷試験により初めて診断が付けられるものであるから、問診で発作誘発歴がなかったからというだけで、負荷試験の必要性を否定する理由にならないことはいうまでもない。
また被告は、吸入誘発試験は危険だという主張もしているが、アスピリンの内服(経口)負荷試験は確かに危険ではあるが、吸入誘発試験は安全で有用である。また仮に、吸入誘発試験にいささかの危険性があるとしても、ボルタレンなどの鎮痛解熱剤を通常の使用量飲ませるよりは、極薄くして使う吸入誘発試験の方がずっと安全であり、吸入誘発試験をするのが危険なような人(アスピリン喘息の患者)に対して、鎮痛解熱剤を通常の使用量使う方がずっと危険なことは言うまでもない。
鼻茸の手術がきっかけとなってアスピリン喘息が発症ないし重症化する例も報告されており、そうでなくても鼻茸の手術をすれば、術後、鎮痛解熱剤を使用する必要が出てくることは当然予想されるわけであるから、鼻茸の手術に先立って、予め、吸入誘発試験を実施してアスピリン喘息かどうかの診断を確定的に付けておくべきであった。ボルタレンは、気管支喘息の患者には慎重に投与すべき旨注意書きされており、アスピリン喘息の患者には禁忌とされているのであるから、喘息患者でありさらに臨床症状からアスピリン喘息が疑われる患者に、非ステロイド性鎮痛、抗炎剤であるボルタレンの使用に先立って、ボルタレンを使用してよい患者かどうか検査すべきことは当然のことである。
以上のとおりであり、本件では、臨床症状からアスピリン喘息が疑われる患者に、近く鼻茸の手術が予定され、鎮痛解熱剤の使用が予想されるにもかかわらず、昭和五八年五月二五日以降鼻茸手術までの間に、鎮痛解熱剤を使用してよい患者かどうかを確認するためにスルピリンまたはアスピリンの吸入誘発試験を実施しなかったことは重大な過失(履行不完全)である。
(3) ボルタレンの使用について
アスピリン喘息の患者には、ボルタレンは使用してはならず、また気管支喘息の患者には、慎重に投与すべきこととされている。
仮に、アスピリン喘息と断定できなくても、その疑いがあり、且つ気管支喘息の場合にも、ボルタレンの投与は慎重であるべきと添付文書により注意されているのであるから、鼻茸手術後、痛みを訴える龍子に対して、鎮痛剤は出来るだけ使わないように指導することもできたはずであるし、また使用する場合にも、非麻薬系の鎮痛剤を使うか、錠剤を砕いて、舌の先に少しのせて暫く様子をみる等して安全を図るべきであった。
それにもかかわらず、加藤医師が、龍子に対していきなりボルタレン二錠を使用したことは重大な過失(履行不完全)である。
被告は、ボルタレンが有用(有効)である旨の主張もしているが、薬剤の有用性とは、有効性と安全性の両者から論じられるべきものであり、いかに薬効があっても副作用により死亡の危険性が高い薬を使用してはならないことは自明のことであり、アスピリン喘息の疑いの濃い患者に吸入誘発試験によってその安全性も確かめないままにボルタレンを使用した行為が裁量を逸脱したものであることは明らかである。
(4) 救命救急処置について
激しい喘息発作、アナフィラキシー様反応に対しては、直ちにエピネフィリン注射により気管支攣縮・喉頭浮腫の寛解と血圧の回復をはかり、急速補液と昇圧剤の注入、酸素投与、気管内挿管による気道確保、副腎皮質ステロイド剤の投与等が必要になる。
本件では、一七時三七分に牙関緊急が発生してから、気管内挿管に二度失敗し、挿管完了までに一一分もかかっており、さらにその後四九分と五七分に二度も心停止を起こしている。
このように救急処置が迅速・適切さを欠いたために、その間に窒息、心停止により、低酸素脳症により脳に重大な障害を残し、脳死状態の後、一〇日後に死亡したものであるから、加藤医師及び山本医師の行った救急処置にも重大な過失がある。
(三) 責任の根拠
(1) 被告は、昭和五八年五月一〇日、龍子との間で、龍子の疾病について適切な診断、検査、治療を行うべき診療契約を締結した。中浜医師、加藤医師、山本医師らは、右契約上の債務を履行するための履行補助者であった。
(2) 被告は、被告病院において右医師らを使用し、右医師らの龍子に対する診療行為は、被告の事業の執行としてなされた。
(3) 右医師らに過失(履行不完全)があることは前記(二)から明らかであるから、被告は、診療契約上の債務不履行責任及び民法七一五条の使用者責任を負う。
4 損害
(一) 逸失利益 二三六三万円
(1) 龍子は死亡当時満四二歳の主婦である。
(2) 「賃金センサス」昭和五五年女子労働者学歴計の四二歳の年間給与額に、本件死亡が昭和五八年であることを考慮して一〇パーセント加算すると、その年収額は二一一万七六一〇円となる。
(3) 生活費控除を三〇パーセントとする。
(4) 四二歳の就労可能年数は二五年であり、ホフマン係数は一五・九四四となる。
(5) したがって龍子の逸失利益は二三六三万四二二一円となる。
(6) 原告角田は龍子の夫であり、原告渕上は龍子の弟であり、龍子の相続人は右両名のみであるから、逸失利益の四分の三を原告角田が、四分の一を原告渕上が相続した。
(7) 原告角田の相続分は一七七二万円、原告渕上の相続分は五九〇万円をそれぞれ下回ることはない。
(二) 慰謝料 三五〇〇万円
(1) 原告角田と龍子は昭和三九年一一月に婚姻した。原告角田の職業は弁護士であり、龍子は原告角田の仕事を手伝っていたものであるが、龍子の死亡後、原告角田は仕事に対する意欲を失い、当分の間茫然自失の状態であった。また龍子の死因について質した原告角田に対し、病院の対応は不誠実きわまるもので、柴田院長が、冷然と「手術も、事後処置も万全で無過失である」と言い放ったことに憤りを禁じえない。原告角田のこのような無念な気持ちに対しては、三〇〇〇万円をもって慰謝されるべきである。
(2) また原告渕上は龍子の弟であるが、両親を早く亡くし、姉弟の二人で育ってきたものであり、親代わりともいうべき姉を亡くした原告渕上に対しては五〇〇万円を以て慰謝されるべきである。
(三) 葬祭費・仏壇購入費 一五〇万円
原告角田は、龍子の葬祭費として一〇〇万円、仏壇購入に五〇万円を支出した。
(四) 弁護士費用 六〇〇万円
以上のとおり、原告角田は四九二二万円、原告渕上は一〇九〇万円の請求権を有するところ、右のような病院側の不誠実な対応により、本訴提起を余儀無くされたものであるから、被告の負担すべき弁護士費用としては、本訴請求の約一割に当たる六〇〇万円(原告角田五〇〇万円、原告渕上一〇〇万円)が相当である。
5 結論
よって、被告に対し、債務不履行又は民法七一五条に基づき、原告角田においては五四二二万円の損害金及びこれに対する龍子死亡の日である昭和五八年六月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告渕上においては一一九〇万円の損害金及びこれに対する前記昭和五八年六月一二日から支払済みまで前記年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)は不知。同(二)は認める。
2(一) 請求原因2(一)の前段は認める。後段は不知。
(二) 同2(二)のうち、入院中、鼻茸ができていることを指摘されたことは否認する。鼻茸の指摘は入院前からなされていた。その余は認める。
(三)(1) 同2(三)(1) ないし(4) は認める。
(2) 同2(三)(5) のうち、気管内挿管が一七時四七分に加藤、山本両医師により完了したことはいずれも認めるが、その余は否認する。加藤医師が、龍子に軌道確保のため気管内挿管を試みたところ、開口不能のためミオブロック三ミリグラムを側注した後に挿管したのである。
(3) 同2(三)(6) 、(7) は認める。
(四) 同2(四)は認める。
3(一) 請求原因3(一)、(二)は争う。
(二) 同3(三)(1) 、(2) は認める。同(3) は争う。
4 請求原因4は不知。
三 被告の主張
1 龍子の臨床診断名について
原告は、龍子はアスピリン喘息に罹患している旨の主張をしているが、その確定診断は存在しない。県立病院城医師の報告書でも、その可能性が考えられるとしているだけであり、龍子が同病院で受診していた際の同医師のカルテにも、アスピリン喘息を疑った旨の記載はなく、病名欄には気管支喘息、副鼻腔炎、薬物アナフィラキシーと記載されているのみである。また、同医師は、龍子を診断していた当時、アスピリン喘息を前提にした検査、治療を実施してないのであり、龍子がアスピリン喘息に罹患していたということは、昭和六〇年二月六日の報告書作成当時の診断の可能性にすぎないものである。
被告病院は、龍子の臨床診断名につき、少なくとも本件発作が発症する以前は感染型とアレルギー型の混合型気管支喘息と診断していたものである。すなわち、龍子への皮内テストの結果では二種の抗体(ヒメガマ、カンジダ)に対して陽性反応は見られたが、カンジダは非特異的に反応する場合も多いため、アレルギーの関与の有無を判定するにあたっては、必ずしも有意な所見とは言えない。しかしながら、龍子の非発作時のIgE(アレルギー状態の時に上昇する免疫グロブリンE)は五四四ないし四七一と正常値上限を越えており、皮膚描画症(じん麻疹の一種であり、皮膚を圧迫摩擦すると、その形に膨疹ができるアレルギー反応である)も伴っていること、末梢血好酸球(EOSINO)の増加(一三~一七%)等の所見からみてアレルギー因子の関与がかなり考えられ、龍子の喘息の原因は感染型とアレルギー型の混合気管支喘息との診断が考えられ、これに心因性あるいは内分泌性などの諸因子も関与しているものと考えられるのである。アスピリン喘息自体は、非アトピー性であり、アレルゲン皮膚反応は陰性、血清IgEの上昇(タ)、特異的IgEの上昇(タ)などの内因型喘息の特徴を有するとされていることも、右のような診断を裏付けるものである。
2 問診義務違反について
(一) 中浜医師は、龍子の入院時に、気管支喘息患者として必要な問診は全て行っており、その結果はカルテに詳細に記載されているし、理学的所見も完全に得ている。
その後、中浜医師は、副島教授から薬物の既往歴につき詳しくもう一度具体的な言葉を使って聞き直すようにとの指示を受けたため、アスピリン喘息を疑って再度の問診をし、風邪薬等の解熱鎮痛剤の発作歴につき尋ねたが、その際龍子はこれを明確に否定している。そして、中浜医師は右問診で得られた結果を「薬物による喘息発作の既往歴なし」とカルテ上に記載したのである。
(二) 昭和五七年九月二七日の発作の事実を引き出すべきだとする原告の主張は結果論にすぎない。問診の際には医師としては問診事項を整備すべきことは当然だが、患者にもまた質問を理解して適切な返答をなすべき責任があるというべきである。本件の不告知が極めて重大な意味を有し、その内容が医師によって把握困難な患者本人の経験的事実にかかり、しかもその不告知による結果発生の危険性が患者にも予見されうる場合には、患者のそのような事項を告知する義務は格段に高められると言わざるを得ず、ましてや龍子が知性的であり、薬品の知識も豊富であることは原告角田、被告病院各医師の一致して認めるところであることからすれば、そのような場合に医師の側が告知を引き出し得なかったとしても、それが法的非難に値するとは言えない。
なお、龍子が問診の際に発作について告知しなかった理由としては、以下の理由から、龍子が服用事実を失念しているか、告知すべき事実と観念していないか、それとも故意に不告知に及んだかのいずれかであると推認される。すなわち、城医師が、龍子が県立病院に緊急入院した後に、実際に龍子に対し、どのように告知して薬剤服用についての注意を促したかは不明であり、その事実はカルテにも記載されていない。仮に龍子が、「どこの病院へ行っても話しなさい」という内容で告知を受けているとしたら、知性的な龍子が薬剤服用歴の問診の際に告知しない筈がない。また、仮に告知があったとしても、それを飲んだら発作が出やすいので、その薬は今後飲まないように告げた程度であり、絶対的禁忌であることを強調しなかったものとも考えられる。原告角田本人も龍子より禁忌を聞いていたとすれば、中浜医師に面会した際に告知することも考えられるが、その事実はない。以上からすれば、龍子や原告は、龍子の緊急入院の後、城医師から禁忌を全く聞かされてないか、極めて軽く告げられ自覚するまでに至らなかったものというべきである。そうすると龍子の県立病院への緊急入院の事実ないしは薬剤の禁忌について、被告病院医師が、それが他病院においての出来事であり、一年近く経過していたことからすれば、右事実を問診によって龍子から聞き出すことは結果的に難しかったわけで、中浜医師に過失はない。
さらに、県立病院耳鼻科において、龍子が予定されていた副鼻腔炎の手術を拒否した事実があるが、右拒否の理由が釈然としないことや、龍子が被告病院に入院後三週間位してようやく鼻茸の存在を中浜医師に告知していることからして、龍子は被告病院において手術を実施するについて期することがあったのかも知れず、故意に不告知に及んだことも、ある程度推認可能である。
3 スルピリン吸入誘発試験実施義務違反について
アスピリン喘息を診断するためには、まず本症の存在を疑うことが大切で、臨床上の特徴を把握し、詳細な問診をとり、明らかな解熱鎮痛剤による発作誘発歴が認められれば本症と診断してよく、続いて発作誘発物質の徹底的除外を実施し、症状が寛解したところで解熱鎮痛剤により負荷試験を実施して、陽性であれば本症と確定することとなるのである。右診断手順が本件事故当時、医療機関、特に大学病院で行われていた手順であり、通例のケースであれば医師は右手順に沿ってアスピリン喘息の診断作業を進めれば医療水準に準拠した診断行為をしたといえるのである。
ところで、アスピリン喘息の発生頻度は、成人の全喘息の約一〇パーセントを占めるにすぎない。誘発試験の安全性については、それが発作を誘発しやすいこと等から危険とされており、医療水準上、有用安全性が確立していないのであるから、詳細な問診の結果、解熱鎮痛剤による発作誘発歴の疑いがある患者に限り実施すべきであり、仮にそれ以外の患者にまで用いては、その検査は九〇パーセントの患者にとっては無用若しくは有害なのであり、そのような検査をするかどうかは医師の裁量の問題というべきである。
原告がアスピリン喘息の臨床的特徴として主張する龍子の症状は、アスピリン喘息のみに特徴的なものではなく、全ての成人の喘息に一般的に見られるものである。そのようなアスピリン喘息の臨床的特徴を備えていれば直ちに吸入誘発試験をすべきであるとするなら、成人喘息患者全てに吸入誘発試験を実施することになり、前述のように不都合である。また、本件では誘発歴が不確定なのではなく、龍子はこれを明確に否定しているものである。
さらには、龍子に限って考えても、原告の主張するスルピリン吸入負荷試験は龍子に実施すべきでないし、また仮に実施したとしてもアスピリン喘息の確定診断にはならない。なぜなら、龍子はピリン系薬剤により蕁麻疹の既往歴があるので、ピリン系薬剤であるところのスルピリン吸入負荷試験をあえて実施して、一秒量の低下、喘息発作などが出現したとしても、それはスルピリンによるアレルギー性喘息を意味している可能性があり、必ずしもアスピリン喘息との確定診断が可能であるとは断定できないからである。
以上の通り、スルピリンによる吸入誘発試験実施による確定診断の可能性、有意性は極めて少ない。しかも、吸入誘発試験の実施が龍子にとって安全かつ有用であることも過失の存否を検討する以前に検討されるべきである。
4 ボルタレンの使用について
(一) 被告調査では、ボルタレン使用例は、昭和五九年までで、日本で約一〇年間に五〇〇〇万人、外国で八〇〇〇万人にものぼる。うち、アナフィラキシー様ショックの発生例が日本では一四例で死亡例は龍子のみであり、外国でもショックが二六例で、死亡例は一例にすぎない。
アナフィラキシー様ショックの予知につき、最も必要なのは患者に対する問診であり、それ以上に安全、確実な事前チェックはない。アナフィラキシー反応をすべて予知、予防することはできないので、その既往歴を緻密に聴取する等の事項を原則的に守り、発生頻度や重篤な反応を減少させるように努力すべきであり、原則は既知の原因物質を使用しないことである。
アナフィラキシー様ショックの予防方法としては、要するに適切な問診による既往症の聴取につきると言ってよく、右問診の履行が過失の有無に連なると解されるところ、前述のように、被告担当医師は本件ボルタレン投与前に、少なくとも四回以上にわたり問診(うち一回はアスピリン喘息を想定して詳細な薬剤既往症を問診している)を実施したが、龍子からは何ら薬物によるアナフィラキシー反応の既往を示唆する内容の回答を得るに至っておらず、他に安全、確実な事前チェックはないと解されているところから、被告側にアナフィラキシー様ショックの発生を予測予防することは不可能である。
(二) ところで、薬物の使用選択は、最も効果的な薬効が期待できる薬物を選択することが肝要であり、原告主張の非麻薬系の鎮痛剤(例えばペンタゾシン)は、中枢神経系を介しての刺激伝導を抑制することにより鎮痛効果を発揮する鎮痛剤であって、局所手術後の疼痛に対して使用することは必ずしも適切であるとは限らず、副作用として呼吸中枢の抑制、過敏症、ショック等のあることが報告されている。これらの副作用の発生は、龍子にとっては特に避けなければならない副作用である。他方、ボルタレンは副作用としては過敏症等の発症が報告されているが、本剤は非ピリン系、解熱、鎮痛抗炎症作用を有してゆり、局所手術後の腫張、疼痛等を除くには非麻薬性鎮痛剤よりも有用である。薬物誘起性ショックの発生が予想されている患者に投与するには、他のマイナス面を差し引いても非麻薬系の鎮痛剤を使用することも当然検討されるべきであるが、前記のとおり右発生の予測が不可能であった本例のような場合は、薬理、薬効に従って薬物を選択すべきであり、その選択は医師の裁量であって、投与当時の臨床上の所見から判断すれば、被告側医師に右裁量を逸脱した過失は認められない。
また、原告の主張する投与方法は、以前その薬剤により発作が誘発された等の既往歴があることが判明している患者については妥当するが、右経験がないか不明な患者全てに、原告主張のような方法で投与することは、日常の臨床現場では到底採ることは困難であり、無条件に原告の言う方法で投与する法的義務あるとまでは言い切れない。龍子の薬物ショックを経験している城医師と、経験のない被告病院とでは注意義務の程度が異なるものである。
5 救命救急処置について
龍子は一七時四〇分にチアノーゼ、上気道閉塞を思わせる窒息状態、全身強直、牙関緊急をきたし、一七時四七分に気管内挿管を完了されているが、その間の処置について説明する。
一般に急性呼吸不全の場合には救命蘇生法(救命処置)の基本であるABC(気道、呼吸、循環)ステップを応用する。Aの気道確保が最も重要な救命処置である。龍子の症状発生後直ちに加藤医師は気道確保の下顎挙上法を施しながら、酸素投与を開始しており、これは極めて適切な処置である。すぐに看護婦詰所から救急医薬品、緊急器具一式が病室にもってこられ、アンビュ・バッグ(バッグーマスク法)で人工呼吸(Bの処置)を行った。これはバッグで空気を肺に押し込む方法であり、簡便ではあるが、有用な補助器具による加圧人工呼吸法といえる。しかしながら期待されるほど十分の換気量が得られないと判断し、気管内挿管を施行することになった。なお、Cの処置は点滴のための血管確保が既になされていた。
右気管内挿管は、一度で成功せず三回要しているが、その理由は、<1>全身強直、牙関緊急状態のため、口を十分に開けることが困難であったこと、<2>喉頭および声門の浮腫のためチューブを挿入しにくかったなどのためである。挿管を試みた加藤医師は、卒業八年目で呼吸器内科講師及び病棟主任であり、又全国でも数少ない内科学認定専門医の資格を有している。気管内挿管に関しても、気管支鏡検査を含めて三五〇例以上経験しており初心者ではなく、挿管に関して技術的未熟などの問題は見当たらない。この時点では、他の同等以上の医師であってもスムーズな挿管は困難であったと思われる。加藤医師は挿管を二度繰り返す時も漫然とやり直したわけではなく、その間は前述した下顎挙上法、バッグーマスク法により気道確保と人工呼吸を続けており処置に誤りはない。しかも全身の筋肉の強い緊張状態をとるために筋弛緩剤(ミオブロック)を適切に使用しており、その効果が表れる頃に加藤医師に代わって山本医師が挿管を試みて成功したわけである。一回で挿管ができなかったからといって、決して救命救急処置が不適切であったことにはならない。
第三証拠<略>
理由
一 当事者
証拠<略>によれば、請求原因1(一)記載の事実を認めることができる。
請求原因1(二)記載の事実は当事者間に争いがない。
二 龍子が被告病院において死亡するまでの経過
証拠<略>によれば、以下の事実を認めることができる(一部争いのない事実を含む)。
1 県立病院に緊急入院する以前の経緯
(一) 龍子(昭和一五年一一月二五日生)は、昭和五四年春ころより痰を伴う咳が出現し、時に呼吸困難を伴うようになったため、同年一二月一〇日、県立病院に一か月程入院し、当時同病院第三内科部長であった城智彦医師(以下「城医師」という。)の診察を受け、喘息と診断された。
(二) 昭和五六年夏ころより、安静時呼吸困難及び喘鳴が出現し、八月には歩行も困難な症状となったため、同年八月一一日、再び県立病院に喘息により入院し、この際も城医師の診察を受けた。
(三) 右退院後、一か月後ころより再び入院前の症状が出現し、昭和五七年二月ころより起坐呼吸が出現し、夜間良眠がほぼ得られなくなり、体動による喘鳴も増強するようになった。
(四) 昭和五七年六月以降、広島市内で内科及び消化器科の医院を開業する柚木医師の紹介により、被告病院呼吸器内科を外来受診し、ネオフィリンの投与等の治療を受けたが症状は軽快しなかった。
(五) 昭和五七年九月七日、県立病院耳鼻科を受診し、アレルギー性鼻炎を基盤とした重症の慢性副鼻腔炎があり、鼻茸を併発した状態と診断され、同日、術前検査及び手術の予約がなされた。
2 県立病院緊急入院に至る経過及びその後の病状
(一) 昭和五七年九月二五日、咽喉炎(風邪)で熱が出たため、同月二七日県立病院耳鼻科を受診し、鎮痛解熱剤であるボルタレン及びペニシリン系抗生物質であるバカシルの処方を受け、右両薬剤を持ち帰り帰宅した。
(二) 同日、自宅にて、昼食後右両薬剤を服用して間もなく、呼吸困難、喘鳴を伴う激しいアナフィラキシー様症状を起こし、救急車で運ばれ、午後三時ころ県立病院内科に緊急入院し、城医師の診察を受けた。病院に到着した際にも、チアノーゼがあり、喘鳴を伴っていたが、会話はできる状態にあった。龍子の主訴は、薬を飲んだ直後に発作が起こったというものであったので、城医師は、龍子が服用したボルタレン及びバカシルのいずれかの薬剤によるショックであると判断し、外来でステロイドホルモン剤の血管注射をした後、さらに病棟でステロイドホルモン等の点滴注射をしたところ、症状は軽快した。城医師は、右診断後、龍子の診断病名につき、従前の気管支喘息に、薬物アナフィラキシーを加えてカルテに記載した。また、右発作は龍子が服用したボルタレンもしくはバカシルにより誘発された可能性が強いものと判断し、いずれの薬剤も原因となり得たので、鎮痛解熱剤一般(ボルタレンは鎮痛解熱剤ではあるがピリン系でない)及びペニシリン系薬剤の龍子に対する使用を禁ずる趣旨で、カルテに「ピリン、ペニシリン禁」と記載した。なお、龍子には、この時の発作以前には、薬物による喘息発作の誘発等の既往はなかった。
(三) その後、同年一〇月一五日まで県立病院に入院し、入院中の一〇月一日、同病院内科から耳鼻科に紹介がなされたが、龍子は従前予約していた耳鼻科における副鼻腔炎の手術を拒否した。
(四) 昭和五八年二月三日、県立病院耳鼻科に手術を希望して再度来診し、手術を希望したが、症状及び所見の軽快が窺われたため、しばらくアレルギー性鼻炎の治療を行うこととなり、薬剤の処方により三月一六日受診時にはかなりの改善を示したが、その後同科には来院しなくなった。
3 被告病院入院後手術までの経緯
(一) 昭和五八年五月一〇日、広島市内で内科医院を経営する田坂勝医師の紹介により、被告病院に、基礎疾患の検索(気管支喘息の原因の追求)とコントロール(対症療法)の目的で、約一か月の予定で入院した。龍子の治療は、中浜医師が主治医として担当することとなった。
(二) 入院中、龍子に鼻茸があったため、五月二〇日、加藤医師より龍子の不眠の原因は鼻閉によるものではないかとの指摘がなされ、同月二四日に耳鼻科に紹介をしたところ、鼻茸が鼻の両側に確認され、右側が完全閉塞の状態で、左側も二、三の鼻茸がありかなりの閉塞状態であった。そこで、鼻閉及びそれに伴う呼吸困難の改善を目的とした鼻茸の切除手術が検討され、予定が組まれた。
(三) 五月二五日、副島教授は、回診の際、中浜医師に対し、龍子が鼻茸を合併し、三〇歳を過ぎての発症であること、また、皮内テストにより特異的アレルギー源は確認されず、どちらかというと非アトピー型らしいと判断したことから、薬剤の既往症を再チェックし、アスピリン喘息を検討することが必要である旨指示した。翌二六日の中浜医師記載のカルテには、薬剤による喘息発作の病歴はない旨記載がある。
(四) 六月二日一五時一二分から二四分まで間、山本医師により両側鼻茸の切除手術が施行され、一五時五〇分に病室へ戻った。
4 手術後死亡までの経過
(一) 病棟へ帰室後、ベッド上で鼻部に氷のうを貼用されて安静にしていたが、龍子が鼻部疼痛を訴えたため、学会で不在であった中浜医師の代わりに待機していた加藤医師の指示により、一七時〇〇分、ボルタレン二錠が経口投与された。
(二) 一七時三〇分、呼吸困難が出現し、喘鳴があり、低調性ラ音が聴取されたため起坐位にして加藤医師が診察し、ユエキンキープ(輸液製剤)二〇〇ミリリットル及びネオフィリン二五〇ミリグラム点滴の指示を出し、一七時三五分より点滴が開始された。
(三) 一七時三七分ころ、被告病院川根医師が診察したが、症状の軽快を認めず、加藤医師が診察したところ、喘鳴の増強を認めたため、一七時三九分ころ、サクシゾン(速効性ステロイドホルモン)三〇〇ミリグラム、ネオフィリン一二五ミリグラム及び五%のブドウ糖二〇ミリリットルを、一分間に五ミリリットルの速度で、加藤医師が側注を開始した。
(四) 一七時四〇分、突然チアノーゼが出現し、気道閉塞状態となり、ベッドの上に仰向けで倒れた。
そこで加藤医師は、側注を中止して、龍子の枕元へ行き、下顎挙上をして気道の確保をはかりつつ、酸素投与を開始し、アンビュ・バッグによる加圧人工呼吸を試みた。そして、更に十分な酸素投与を行うため気管内挿管を試みたが、筋緊張が強かったために挿管できなかった。そこで、再びアンビュ・バッグによる酸素投与を行いながら、筋弛緩効果を得るために一七時四三分にミオブロック(筋弛緩剤)四ミリグラムを側注した上再度気管内挿管を試みたが、十分な開口が得られず、挿管を中止した。その後、山本医師に挿管を依頼し、ミオブロック側注による筋弛緩効果が得られた一七時四七分に、同医師の手により気管内挿管が完了した。
(五) 挿管完了後は、血圧を上げる措置をとりつつ、酸素は十分に送りこめるようになったが、一七時四九分と一七時五三分に心停止があった。最初の心停止の際には、心臓マッサージを行いながら、ボスミン一アンプルを胸壁から心臓に注入したところ、鼓動を始めたが、再度の心停止があり、そこで再び心臓マッサージを行いながらボスミン一アンプルを心注したところ、鼓動を開始し、血圧もほぼ正常に戻ったが、意識は回復しなかった。
(六) その後、龍子は、脳死状態となり、意識が回復しないまま、同年六月一二日午前七時〇三分に死亡した。
三 龍子の死因
龍子が、昭和五八年六月二日の手術後、一七時〇〇分に投与されたボルタレンによって誘発されたアナフィラキシー様ショックにより、窒息、心停止状態になり、それにより低酸素脳症を来たし、その後、脳死状態になり死亡したことは当事者に争いがない。
四 被告の責任
1 龍子がアスピリン喘息に罹患していたことについて
証拠<略>及び前記二認定の事実を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) アスピリン喘息とは、アスピリンを始めとするすべての酸性解熱鎮痛薬(酸性非ステロイド性抗炎症薬)によって発作が誘発される喘息である。アスピリン喘息の患者がアスピリンを摂取すると、ほぼ一時間以内(遅くとも三時間以内)に喘息発作が誘発され、しばしば同時に鼻炎症状を伴い、蕁麻疹、ショックを伴うこともある。
ボルタレンも、非ステロイド性の鎮痛、抗炎症剤であって、アスピリン喘息又はその既往歴のある患者には投与してはならないとされている。
(二) アスピリン喘息は、成人喘息患者全体の約一〇パーセントを占めるが、その臨床的特徴は次のとおりである。なお、鼻茸、気管支喘息、アスピリン過敏症の三つの徴候は、アスピリン喘息の三徴候と言われている。
(1) 重症難治例が多く、しばしばステロイド依存性である。
(2) 発作が通念性に認められ、意識障害を伴うほどの大発作を経験している例が多い。
(3) 慢性副鼻腔炎、鼻茸の合併例が多い。
(4) 三〇歳以後の中年発症例が多い。
(5) 女子にやや多発する(女対男=六対四)。
(6) 非アトピー性である(血清中の総IgEは低値、一般アレルゲンに対する皮膚反応はカンジダなどの真菌類を除いて陰性、血清中の各種の抗原特異的IgEは陰性)。ただし、アトピー性疾患の合併例も稀ではない。
(三) 龍子(昭和一五年一一月二五日生)は、昭和五四年春ころから気管支喘息の症状が発現するようになったものであるが、昭和五七年九月二七日、県立病院耳鼻科で処方を受けたボルタレン及びバカシルを服用後、呼吸困難、喘鳴を伴う激しいアナフィラキシー様症状を起こして県立病院へ緊急入院した。その際、龍子を診察した城医師は、龍子の症状をボルタレン及びバカシルのいずれかの薬剤によるショックであると判断した。
なお、アナフィラキシー様反応とは、非免疫学的な機序によって惹起される全身的な反応をいうものであり、免疫学的な機序によって惹起される全身的なアレルギー反応であるアナフィラキシー反応と対比される。
(四) 被告病院入院後、龍子に鼻茸があることがわかり、龍子は昭和五八年六月二日、被告病院において鼻茸の切除手術を受けることとなった。しかるに、龍子は、右手術を終えた後の同日一七時、ボルタレン二錠の投与を受けたところ、右投与を原因とするアナフィラキシー様ショックを起こし、同月一二日、死亡するに至った。
(五) 県立病院において前記二のとおり龍子を診察していた城医師は、昭和六〇年二月六日の時点で、龍子がアスピリン喘息に罹患していた可能性が考えられるとの診断をした。なお、同医師は、呼吸器、気管支喘息を専門としている。
右認定事実によると、気管支喘息患者である龍子は、以前、ボルタレンを服用した際に、アナフィラキシー様ショックを経験したことがあり、また、龍子には、被告病院に入院中、アスピリン喘息の臨床的特徴の一つである鼻茸の合併がみられるものである上、死亡の原因は、アスピリン喘息の患者には禁忌とされるボルタレンの投与によるものであって、県立病院で龍子を診察していた城医師も、龍子がアスピリン喘息に罹患していた可能性が考えられるとの診断をしているというのであるから、龍子は、被告病院に入院する当時、アスピリン喘息に罹患していたものと認めるのが相当である。
もっとも、アスピリン喘息自体は、非アトピー性(血清中の総IgEは低値、一般アレルゲンに対する皮膚反応はカンジダなどの真菌類を除いて陰性)の疾患であるところ、証拠(<略>)によると、龍子の被告病院への入院時の検査においては、非発作時のIgEが五四四ないし四七一と正常値の上限である四〇〇を超えていたことや皮膚をこすると赤くなるというアトピー性の反応がみられたことなどから、中浜医師や副島教授は、龍子の被告病院入院当時、龍子の所見にはアスピリン喘息とは考えにくい臨床的な面もあると認識していたことが認められる(<証拠略>)。
しかしながら、副島教授は、前段のようなIgEの検査結果等はあることは承知しながらもなお、前記二3(三)で認定したとおりどちらかといえば非アトピー型である可能性が強いと判断し、アスピリン喘息罹患の可能性を疑い、中浜医師に対して再度、アスピリン喘息か否かを判断するための問診を指示していること(<証拠略>)に照らすと、前段で認定した事実は、龍子が被告病院に入院していた当時アスピリン喘息に罹患していたことを否定しうる事実とは言い難い。
2 アスピリン喘息の診断手順について
証拠(<略>)によると、以下の事実を認めることができる。
(一) アスピリン喘息を診断するための方法としては、まず、アスピリン喘息を疑うことである。そして、アスピリン喘息の臨床像の特徴である、中年発症、通年型、慢性型、鼻茸の合併、アトピー因子の関与が少ない等を示す症例については、アスピリン喘息という観点に立って十分に検索する必要がある。
(二) 右検索のためには、詳細な問診を行うことが必要である。アスピリン喘息の誘発物質である各種の非ステロイド性解熱鎮痛消炎剤等による発作誘発歴を詳細に問診することによって右誘発歴が明らかになれば、アスピリン喘息と診断することが可能となる。
(三) 問診によっても誘発歴が確定的でない場合には、負荷試験(アスピリン喘息の誘発物質を患者に対して一定量負荷し陽性の結果が出るか否かによりアスピリン喘息罹患の有無を診断する試験)を行うことが必要となる。
この負荷試験は、従来はアスピリン等を経口投与することにより行われていたが、誘発される発作がしばしば非常に重篤であるため、昭和五〇年代以降の雑誌に掲載されている論文においては、より安全性の高い試験方法として、アスピリン喘息の誘発物質であるスルピリンを吸入させる方法が有用と指摘されるようになった。
もっとも、<書証番号略>の論文(昭和五三年雑誌掲載)には「スルピリン吸入および静注負荷試験の本症診断への応用には問題点もあるが、スクリーニング検査としては有用であり、一般に行われることを望むものである」との記載が、<書証番号略>の論文(昭和六〇年雑誌掲載)には「解熱鎮痛剤負荷試験法で一般に広く用いられる方法がまだ確立されていないため、診断の一つのネックになっている」との記載が、<書証番号略>(一九八八年付)における末次教授のコメントには「吸入試験がより安全な方法として用いられているが、なお一般化しているとはいいがたい。安全な診断方法の確立と普及が望まれるところである」との記載がそれぞれあることや、城証人が「スルピリン吸入誘発試験においても、人によっては、ひどい発作を起こすことがありうるので、こわい試験だと思っている」、「吸入誘発試験でも場合によると危険であるということが言える」との趣旨の証言<証拠略>をしていることから窺えるように、スルピリン吸入誘発試験は、アスピリン喘息診断のために有用かつ比較的安全な方法であるとの評価はなされているものの、龍子が被告病院での診察を受けた昭和五七年当時において、アスピリン喘息が疑われるすべての喘息患者に対し実施すべきであるとの評価まではされていなかった。
(四) 被告病院においても、スルピリン吸入試験が予測できない危険性を持っていることから、アスピリン喘息の診断方法としては、薬剤による発作誘発歴についての問診を重視し、右問診によってもアスピリン喘息罹患の可能性が否定できない場合に、医師の判断によりスルピリン吸入誘発試験を実施することとしていた(<証拠略>)。
3 龍子に対する問診義務違反について
(一) 問診義務の存在について
アスピリン喘息患者は、成人喘息患者全体の約一〇パーセントを占めるところ、アスピリン喘息患者に対し、酸性解熱鎮痛薬(非ステロイド性抗炎症薬、以下「鎮痛解熱剤」という。)を投与するとショック等を誘発され、場合によっては、龍子のようにアナフィラキシー様ショックを起こして死亡することもありうることは前記認定のとおりである。したがって、本件のように喘息患者に対して鼻茸の手術が施行されることが予定され、術後、鎮痛解熱剤を使用することが当然予測し得る(<証拠略>)ような場合には、術後に鎮痛解熱剤を投与することが許されるか否かを判断する前提として、事前にアスピリン喘息の確定診断を図ることが極めて重要な意味を持つこととなる。そして、右診断の方法としては、問診とスルピリン吸入誘発試験が有用であるが、右誘発試験は、昭和五八年当時において、アスピリン喘息が疑われるすべての喘息患者に対し実施すべきであるとの評価まではされていなかったことは、前記認定のとおりである。
以上によれば、前段で述べた本件のような場合につき、スルピリン吸入誘発試験を実施しないことが直ちに法律上の注意義務違反になるとまでは認め難いけれども、右誘発試験を施行せずにアスピリン喘息罹患の有無の確定診断をするに当たっては、右誘発試験に代わるべき詳細な問診を行う義務があるというべきである。
(二) 問診義務違反の有無について
被告病院においては、スルピリン吸入誘発試験を実施することなく、最終的には昭和五八年五月二五日に中浜医師により行われた問診によってアスピリン喘息の可能性を否定したものであるところ(<証拠略>)、龍子が実際にはアスピリン喘息患者であったことは前記認定のとおりであるから、右問診に不適切な点がなかったか否か(問診義務違反の有無)について検討する。
証拠(<略>)及び前記二認定の事実を総合すると、以下の事実が認められる。
(1) 龍子は、昭和五七年九月二七日、ボルタレン(鎮痛解熱剤)及びバカシル(ペニシリン系抗生物質)を服用後間もなく、アナフィラキシー様症状を起こし、救急車で運ばれ、県立病院に緊急入院した。
その際、龍子は、同人を診察した城医師から、右症状はボルタレン又はバカシルの服用を原因とするものであり、同種の鎮痛解熱剤又はペニシリン系薬剤の服用は再度の発作を誘発するため危険であるから、どこの病院に行っても薬剤による発作歴があることを話すようにとの趣旨の説明を受けた(<証拠略>)。
(2) 中浜医師は、龍子が被告病院に入院した昭和五八年五月一〇日の午後一時三〇分ころから、約三、四〇分かけて第一回目の問診を行った。
右問診により、中浜医師は、龍子の喘息症状が昭和五四年春頃から出現したこと、その後の症状の経緯、県立病院や被告病院への入、通院の状況等を聞き出したほか、薬でアレルギー症状が発現したことはないかとの趣旨の質問をして、龍子から、ピリン系の薬で蕁麻疹が出たことがあるとの回答を引き出した。しかしながら、昭和五九年九月二七日の県立病院への緊急入院の事実は聞き出せたものの、その入院の原因がボルタレン及びバカシルの服用にあるとの事実は聞き出せなかった。
(3) 入院後しばらくしてから、龍子は、中浜医師に対し、鼻茸があるとの事実を告げた。そこで、中浜医師は、龍子に耳鼻科の診察を受けさせ、その結果、鼻茸の切除手術を行う運びとなった。
(4) 昭和五八年五月二五日、副島教授の回診が行われた。その際、副島教授は、龍子がアスピリン喘息に罹患している可能性を疑ったため、中浜医師に対し、薬物の既往歴について再度チェックし、アスピリン喘息の罹患の有無を検討するよう指示した。
右指示に基づき、中浜医師は、再度、龍子に対する問診を右同日に行ったが、右問診においても、昭和五九年九月二七日に龍子が県立病院に入院した原因がボルタレン及びバカシルの服用にあるとの事実は聞き出せなかった。
右認定事実によれば、アスピリン喘息の罹患の有無を判断するために、副島教授は中浜医師に対し、薬物の既往歴についての再チェックを指示したというのであるから、中浜医師としては、右指示に基づき問診を行うに当たっては、龍子に対し、例えば「今回の鼻茸の切除手術後には、鎮痛解熱剤の投与も考えられる。ところが、アスピリン喘息患者に対しそのような薬剤を投与すると場合によっては生命の危険も生じうる。そこで、これからアスピリン喘息に罹患しているかどうかを判断するための問診を行う。」といった形で問診の趣旨を説明して理解させた上、「これまでに薬剤の投与によって異常が生じたようなことはないか、あるいは、医師から飲んではいけない薬があるとの指示を受けたことはないか。」という趣旨の質問をすべきであったというべきである。そして、右(1) で認定した事実に照らせば、そのような形での質問をすれば、県立病院に入院した原因がボルタレン及びバカシルの服用にあるとの事実を龍子から引き出せたはずである。しかるに、中浜医師の問診によって、右事実を引き出せなかったというのであるから、中浜医師は、右のような形での問診を行わなかったと推認せざるを得ない。したがって、中浜医師の問診には不適切な点があったというべきであり、問診義務違反の責めを免れないものである。
もっとも、中浜医師は、副島教授の指示を受けた後、龍子に対し、薬剤の既往歴についての問診を行い、鎮痛解熱剤を飲んで息苦しくなったことはないかとの質問をしたところ、龍子からないとの答えを得たので、薬剤による発作誘発歴を否定したとの趣旨の証言をしている(<証拠略>)。しかしながら、仮に右証言のようなやりとりが中浜医師と龍子との間であったとしても、龍子が故意に薬剤服用による発作歴があることを秘匿することは考えられないので、龍子が前記のように答えた理由は、龍子が中浜医師の質問の趣旨をよく理解できなかったか、あるいは、中浜医師の質問のみからでは昭和五七年九月に県立病院に入院した際に城医師から受けた前記(1) 認定の説明を思い出せなかったかとしか考えられないところである。しかるに、スルピリン吸入誘発試験を施行せずにアスピリン喘息の有無の確定診断をするに当たっては、右誘発試験に代わるべき詳細な問診を行う義務があることは前記のとおりであるところ、龍子が、前段で判示したような形で中浜医師からの問診を受け、問診の趣旨を十分に理解したとすれば、自らの生命にかかわることだけに、城医師の指示どおり薬剤による発作歴があることを中浜医師に告知しえたことは容易に推測しうるところであるから、前記証言のようなやりとりが中浜医師と龍子との間であったとしても、それのみで右問診義務を尽くしたとは認め難いというべきである。
4 被告の責任について
以上の検討によれば、龍子は、中浜医師の問診義務違反により、アスピリン喘息の可能性を否定され、鼻茸の除去手術後、アスピリン喘息患者禁忌とされるボルタレンを投与され、右投与により死亡したものということができる。そして、被告が被告病院において中浜医師を使用し、中浜医師の龍子に対する診療行為が被告の事業の執行としてなされたことは、当事者間に争いがないから、被告は、民法七一五条に基づき、中浜医師の過失により原告らが被った損害を賠償すべき義務があるというべきでる。
五 損害
1 逸失利益
証拠(<略>)によれば、龍子は、死亡当時四二歳の主婦であったことが認められるところ、昭和五八年度賃金センサス第一巻第一表によれば、産業計、企業規模計、学歴計の女子労働者の年間平均給与額は二一一万〇二〇〇円であるから、生活費として四〇パーセントを控除し、二五年の新ホフマン係数により中間利息を控除すると、龍子の逸失利益の額は、二〇一八万七〇一七円(一円未満切捨て)
(計算式)
二一一万〇二〇〇円×〇・六×一五・九四四=二〇一八万七〇一七円
そして、弁論の全趣旨によれば、龍子の相続人は、夫である原告角田及び弟である原告渕上以外にはいないことが認められるから、右逸失利益額につき、原告角田が四分の三の一五一四万〇二六二円、原告渕上が四分の一の五〇四万六七五四円宛相続したことになる(いずれも一円未満切捨て)。
2 慰謝料
前記認定にかかる過失の態様その他諸般の事情を総合すると、原告角田の慰謝料は九〇〇万円、原告淵上の慰謝料は一〇〇万円と認めるのが相当である。
3 葬祭費、仏壇購入費
原告角田が本件において請求しうる葬祭費、仏壇購入費は、合計して一〇〇万円と認めるのが相当である。
4 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件訴訟の提起、追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、相当額の報酬の支払約束していることが認められるところ、被告に請求しうる弁護士費用相当額の損害としては、原告角田が二五〇万円、原告淵上が六〇万円と認めるのが相当である。
六 結論
よって、原告らの民法七一五条に基づく請求は、前項で認定した損害額及びこれに対する龍子死亡の日である昭和五八年六月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行及びその免脱宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山田俊雄 裁判官 内藤紘二 裁判官 佐々木直人は、転補につき、署名、捺印することができない。裁判長裁判官 山田俊雄)